丸亀製麺の粟田貴也氏のプロフィールや年収は?なぜうどん屋を始めたのか?

2020年9月17日にカンブリア宮殿でも取り上げられた、

丸亀製麺を展開するトリドール ホールディングス社長 粟田貴也氏。

粟田貴也氏は一代で丸亀製麺を急成長させた人物でもあります。

その優秀な経営者のプロフィール、気になる年収、そしてなぜうどん屋を始めたのか、

この3点に絞ってご紹介していきます。

 

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プロフィール

・名前:粟田 貴也(あわた たかや)

・生年月日:1961年10月28日

・出身地:兵庫県神戸市

・身長:

・趣味:ジョギング

・特技:マラソン

・最終学歴:神戸市外国語大学 中退

粟田貴也さんのお父さんは警察官でしたが、小学校6年生のころに

くも膜下出血で亡くなっています。その後は母、兄との3人暮らしとなり、

生活は貧しかったそうです。

名門・県立加古川東高校に進学し、アルバイトをしながら家計を助けたそうですが、

そこで働くことの厳しさを痛感します。

中学、高校ともに生徒会長を務めるほど人望の厚い方だったそうです。

神戸市外国語大学の夜間部に進学し、昼間はアルバイトで引き続き学費を稼ぎながら、

夜は学業という多忙な日々を送っていました。

 

成功している経営者と聞くと、なんだかエリート街道を進んでいそう・・・

と思ってしまうことがありますが、

粟田貴也氏さん、お父さんを亡くしてから、

非常に苦労された方だということがわかりますね。

 

起業のきかっけ

大学生のときにアルバイトをしていた喫茶店で、

自分が淹れたコーヒーや、作った食事をお客さんが食べたときに

「おいしい」と言ってくれたことによって、社会に参加していると強く実感することができ、

仕事が楽しく感じたそうです。そして、飲食店を天職にすると決めたそうです。

学生時代のアルバイトというのは、お金のためだけに働くことが多い中、

「仕事の楽しさ」という本質を見出すことができたのは、

とても大きな一歩だったのではないでしょうか。

 

目標が決まったのちに大学を中退し、

資金集めのために佐川急便のセールスドライバーを経験。

300万円ほどの貯金ができたので、その資金をもとに、

1985年23歳の時に故郷の加古川市に焼き鳥居酒屋「トリドール三番館」を開きます。

”三番館”である理由は、三店舗開くことを目標にしていたからだそうです。

この建物がトリドール三番館のあった建物で、お店の広さは8坪だったそうです。

現在の建物は取り壊されてなくなっているようです。

 

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丸亀製麺にもつながる店舗レイアウトのヒント

居抜き物件を低コストで出店したため、焼き場がお店の入口にあり、

焼き鳥を焼く煙が店内に充満するという状態に・・・

しかし、お店は大繁盛!

この出来事により、調理シーンをお客さんに見てもらうことが、

作りたてを提供している価値だということに気づき、

のちの丸亀製麺の店舗レイアウトにつながることになりました。

そして、「できたて」「手づくり」「臨場感」の3つのワードをコンセプトとした、

サービスを行うことにします。

確かに丸亀製麺の路面店は、店舗の外からも調理風景が窓越しに見えますし、

店舗内はオープンキッチンのような作りになっていますね。

 

 

なぜうどん屋なのか

加古川市に焼き鳥店を3店舗開店したあとに、家族向けの店舗である

「和風焼鳥ファミリーダイニング 」(現在の「とりどーる」)の展開も始めました。

しかし、2003年に鳥インフルエンザが大きな社会問題として取り上げられるようになると、

焼き鳥店ではなく、新しい業態の店舗を展開することを模索します。

そして、粟田貴也さんのお父さんが香川県の出身ということもあり、

小さいころから親しんでいた讃岐うどんを提供するうどん屋を展開することになりました。

 

「丸亀製麺」とはいうものの、先述の通り創業の地は兵庫県加古川市

丸亀市には一度も出店したことはありません。

ではなぜ「丸亀」製麺なのか?というと、

当時その店名で批判にさらされていたときのインタビューでこのように語っています。

うどんの店を出す時に「丸亀製麺」という名前にしたのは、僕が中学生の時に死んだ親父が旧制の丸亀中学出身だったからという単純な理由です。それに丸亀という地名は、鶴亀の「亀」に「丸」で、「ほんま縁起のええ名前や」と思って頂戴したんですよ。店舗数が数軒くらいの時は何も言われんかった。だから、今みたいに大きな話題になるなんて思ってもみなかったんです。

 

と、批判されていることにかんしては、変えようのない事実のため

この件についてはもう言い訳もなんもしないことに決めた、とも話しています。

まさか、ここまでお店が大きくなり、そしてここまで批判を受けるなんて、

当時は想像もしていなかったんでしょうね・・・うれしい誤算でしょうか・・・

 

そして、丸亀「うどん」ではなく、なぜ「製麺」なのか?

ということも、しっかりとした理由がありました。

 

「製麺」の名を冠した外食チェーンはほとんどなかったんやないでしょうか。製麺と名付けたのは、香川の製麺所で見た、出来たてを提供する場面そのものがお客様の感動を呼んで、それが行列につながっているのだと感じたから。それで「作りたて感」が出る名前にしたいなと思ったんです。「丸亀うどん」にはしたくなかった。うどん屋さんではなく、「製麺工場なんだ!」と。

~出展:日経ビジネス~

コンセプトでもある「できたて」「手づくり」「臨場感」が、

ここでも徹底されていたんですね。

2000年代後半からは、全国各地に出店を繰り返し、

2009年には、同業者大手のはなまるうどんを抜いて、

セルフうどん市場における店舗数第1位に躍り出ました。

 

気になる年収

いろいろ調査してみましたが、粟田貴也さんの年収は公開されていません。

ですが、2010年の粟田貴也さんの年収は推定5千万円というデータが存在しました!

そして、2020年と2010年の丸亀製麺の売り上げを比較すると、

4倍に膨れ上がっています

売上が4倍だからといって役員報酬が4倍にはならないので、

おそらく年収は1億円程度でなないでしょうか?

 

 

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